江戸筆いままで・これから

1  江戸筆の起こり
2  減って行く職人たち
3  生き残る江戸筆
4  「使い捨て」より「モノを生かす」時代へ


<江戸筆の起こり>
  「筆」は、「日本書紀」の推古天皇の18年(610年)3月の条に高句麗僧曇徴が「紙、墨の製法を招来した」と記されており、一応これが筆墨硯渡来の嚆来とされている、また、 筆作りの技術を日本へ持ちこんだのは空海(弘法大師)であったといわれます。
もともと首都のあった京都・奈良から愛知の豊橋・広島の熊野を中心として、筆を作る技術は日本の書法や環境に合わせて発達して行きました。
  これらの産地に比べると、江戸筆の歴史は浅く江戸時代が始まってからのことになります。
政治経済の中心地が江戸に変わると、武士や商人が集まってきました。商いには「読み書き算盤(そろばん)」が欠かせません。
江戸時代中期になると町人の子供たちに「読み書き算盤」を教える寺子屋が爆発的に増え、それに用いられる筆の需要が増してきました。
関西で筆作りの技術を身につけた職人たちは、江戸でこの地にあわせた独自の筆を作りはじめたのでした。
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<減っていく職人たち>
  さまざまな文化を支えてきた江戸の職人たちと江戸筆にも、転機が訪れます。
西洋文化が日本にやってくると、ペンや印刷と言った新たな技術が台頭し、以前ほどの筆の需要がなくなってしまいます。 供給する側の職人は徐々に減りはじめました。
さらに打撃を与えたのが大正の関東大震災と昭和の度重なる戦火でした。
東京を離れる職人・筆作りを断念する職人・・・その中にあっても一握りの職人たちは、東京の地で筆を作りつづけました。
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<生き残る江戸筆>
  戦後の日本は復興が進み、高度経済成長期を迎えます。
機械化・大量生産・速い流通がもてはやされる社会では、大量生産ができない江戸筆はやはり衰退の色が濃い文化でした。しかし根強いユーザーに支えられてこの時代を乗り切ります。
「書」のプロ・書家のニーズに応えてオリジナリティのある筆を作るようになりました。
 経済が安定期に入ると、人々は生活に潤いを求め、趣味の充実を図るようになります。カルチャーセンターや書道教室が 増え始めると、「より上手く・きれいに書きたい」という声が多く聞こえるようになりました。
江戸時代からさまざまな書風を受け入れてきた江戸筆は、その声に応える作り方を編み出して行きます。結果、筆の形・素材・ 大きさの幅は広がり、バラエティに富んだ筆が作られるようになりました。
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<「使い捨て」より「モノを生かす」時代へ>
  時代はさらに流れて、現在。大量消費の考え方は、リサイクルとエコロジーに移りつつあります。
筆・道具と言えどもこだわりを持って作り、愛着を持って使われたものならば最後まで使って欲しい。
今、筆職人は筆を作り、治療し、生き返らせています。
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